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2013.06.19 前田慶次
前田慶次 100信
 100信の慶次のグラフィックは光栄の本気ですねw 
 前田利益(マエダトシマス)、前田慶次、前田慶次郎。利太、利大、利貞、利卓と様々。※ここでは慶次で統一して呼びます。
 愛馬は松風
 滝川滝川クリステルの出身、前田利家前田利家(稀)アイコンの義理の甥(実際には複数説があり、明らかになっていない)。
 1584年 小牧・長久手の戦いでは佐々成政佐々成政アイコンに攻められた末森城の救援に向かう。その際に、利家より佐々方から寝返った阿尾城の城代(代理の城主)に任じられ、同城奪還に向かった神保氏張らの軍勢と交戦。
 1590年小田原征伐北条氏政アイコンが始まると前田利家前田利家(珍)アイコンと共に前田慶次前田慶次(極)アイコンも北陸進軍同行、利家が陸奥地方の検田使(農耕地等を計る)を仰付かった事により慶次もまたこれに随行した。
 1590年以降利家と不仲になり出奔(逃げだして行方をくらます)
 1598年~1600年関ヶ原の戦い直江兼続直江兼続アイコンから能力を認められ上杉家上杉景勝アイコンに士官。初目見えに泥の付いた三本の大根を持参し、「この大根のように見かけはむさ苦しいが、噛みば噛むほど滋味の出る拙者でござる」と言った。長谷堂城の戦いに出陣。関ヶ原西軍敗戦の報が直江兼続直江兼続(極)アイコンの元に届き、兼続が自害しようとしたが前田慶次前田慶次(珍)アイコンにより諌められ撤退の決断をする。
 その後は、和歌や連歌を詠むなど自適の生活を送った。

 大のイタズラ好きで、前田利家前田利家(極)アイコンに茶をもてなしたいと自宅に呼び、「茶の前にお風呂はどうでしょうか?」と利家に勧め利家も「それは何よりも馳走だ」と承諾し風呂場へ。利家が服を脱いでいると、先に慶次が「丁度いい湯加減でした」と言いその場を去った。利家はそれを聞き湯船に入ると氷のような冷水であった。温厚な利家も怒り「馬鹿者に欺かれたわ、引き連れて来い」と供侍へ怒鳴ったが、慶次郎は愛馬松風に乗って国を去った。このエピソードは信長の野望でもあり、主君と一緒の城に配置してしまうと発生し、前田慶次が出奔する。

 浪人時代は、「穀蔵院飄戸斎(こくぞういん・ひょっとさい)」「龍砕軒不便斎(りゅうさいけん・ふべんさい)」と名乗った。
 歌人「似生」と号し、多くの連歌会に出席。細川幽斎細川幽斎の連歌集『玄旨公御連哥』には慶次主催の連歌会に幽斎が出席した事が記されている。
 大ふへん者・・・上杉陣で「大ふへん者」という旗を掲げ参陣。大武辺者(優れた武人)ではなく大不便者(女房がいなくて不便や土地勘がなく仲間もいなく不便)という意味合い。
 
 前田慶次が一躍有名になったのは信長の野望では無く、花の慶次花の慶次の影響であろう。
原哲夫先生は偉大であり、人物像が北斗の拳の作画にピッタリであったのではないか。
信長の野望では武将風雲録(1990年末発売)で初登場、花の慶次も同時期。
強さは、シリーズが出るごと強くなってるイメージで、最終的には、騎馬でも最強の部類。本多忠勝本多忠勝(稀)アイコンや上杉謙信上杉謙信(極)アイコンと比べても戦闘だけなら遜色ない。
 
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